Last Updated Apr/06/97
近 江 鉄 道 の 歴 史 1 (日本の私鉄の夜明け)
明治初年代以来、当時の政策的には最重点化されながら、国家財政の厳しい制約のなかで、
はかばかしく進捗しない政府の鉄道建設を代位、補完する形で、当初は裕福な華族や特権的
政商の資本が、またそれに続いて、ようやく成長しつつあった民間資本が、私鉄事業に乗り出す
ようになった。 「八日市市の歴史」より一部引用
日清戦争の日本の勝利のあと経済の拡大、活性化に乗って、第二次私鉄起業ブームが展開していった。
国内各地に中小私鉄会社が数多く設立されたが、それらのうちいくつかは明治30年代前半の
恐慌を契機として有力大私鉄に吸収統合され、いっそう拡大したそれら幹線的大私鉄のネットワーク
の市場支配力は、シェアにおいて政府のいわゆる官設鉄道を凌駕し、ときには官設鉄道との間で
激しい競争が展開された。
その後の産業経済界の大勢は、こうした官、私鉄の併立、競合による社会的損失を許さなくなり、
日露戦争後有力私鉄を重点に大規模な国有化が断行された。これ以後、私鉄企業は巨大化した
国鉄線路網にその培養線として従属するか、あるいは大都市圏交通市場において大量の消費性
、ビジネス型人的輸送を主軸に多様なサービスを開発し、いわゆる「郊外電車」として発展するかの
二類型に分化していった。
近江鉄道はどう見てもさきの二類型のうち前者つまり地方中小私鉄の一つには違いない。しかしながら、
現実にこの地方を日夜走っている近江鉄道には、なにか、ほかの弱小ローカル私鉄にはないユニークな
体臭が感じられる。たとえてみれば近江平野にしっかり根を下ろし、地をはうように蔓をのばした雑草
のもつしたたかさ、しぶとさのイメージが、近江鉄道にはふさわしくないだろうか。
明治31年に近江鉄道が開業した時、すでに30数社にものぼる私鉄が開業していたが、それら先発
私鉄のほとんどは力弱くして他社に吸収合併され、あるいは国有化されて当初の姿や社名を失っており、
いまなお私鉄として存続しているのは南海鉄道(現:南海電鉄)と伊予鉄道の2社だけである。
してみると、それらに続く近江鉄道も明治期に開業してなお存続する数少ない私鉄となっており、
ひとつのモデルとして評価してよいと考えられる。
多くの地方中小私鉄が戦後の交通革命の渦に巻き込まれて休廃業していった中で、近江鉄道は
先に宇治川電気を経て西武鉄道の資本系列下に入ったにせよ、とにかく一個独立の地方鉄道として
100年を超える歴史を持ち現在も盛業中である。 その腰の強さというものは、やはり近江鉄道の、
私鉄としての、長くかつ曲折に富んだ歴史の中で培われてきたものではないだろうか。